【年末と言えば忠臣蔵】

最近やらなくなりましたね😭忠臣蔵

元禄年間に

江戸城・松之大廊下で

足利高家の吉良上野介義央に斬りつけた?

として

播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭が切腹に処せられ

さらにその後

亡き主君の浅野長矩に代わり

家臣の大石内蔵助良雄以下47人が

本所の吉良邸に討ち入り

吉良義央らを討ったとされる話

ですが

物語の中では

吉良にいじめられた浅野が

キレてヤっちゃったこと

になってますが

実は

奥が深い!

根底には

山鹿素行の思想

特に『中朝事実』(尊王思想の歴史書)の考えが

あるものと推測できます😊

何故か?

大星由良之助(大石内蔵助)が

『山鹿流陣太鼓』を持ってる演出が

そのことを表してますね

ストレートな将軍批判はできないことから

芝居の中に散りばめたんでしょうね ヒント

まあ

詳しくはまたの機会に

尊王攘夷の思想は

浅野内匠頭の辞世の句にもあらわれています

風さそふ 花よりもなほ 我はまた

春の名残を いかにとかせん

※花=天皇のこと

検閲が容易に想像できる世の中

歴史は為政者によって作られている

例えば大悪人のように描かれる

大化の改新(乙巳の変)により倒れた

蘇我入鹿

彼も果たして悪者だったのかどうか?

史実を見る限り

中大兄皇子(天智天皇)のほうが

よっぽど悪人だったのではないだろうか?

蕎麦屋を見て

ふと思ったことを書きました 笑